「介護の匠」くぅちゃん~しのちゃんの認知症発症
一緒にかくれんぼしたり、ひなたぼっこしたり、、、すっかり心を許しあったふたり。
でも引っ越しして半年ほど過ぎた頃、しのちゃんの体に異変が。狭い場所や家具の隙間に挟まる、家具や壁へぶつかっても後ずさりできない、ちょっとした段差も越えられない、座っていてもだんだん体が斜めに傾く、など認知症の症状が出始めたのだ。
そんなしのちゃんの様子を側で心配そうに見守っていたくぅちゃん。ある日、晴さんが2階で寝ていると、「くぅ~、くぅ~!」と晴さんを必死で呼ぶくぅちゃんの鳴き声が聞こえてきたという。
急いで1階へ降りると、そこには家具の隙間に挟まって身動きのとれなくなったしのちゃんの姿が。くぅちゃんは晴さんよりも早くしのちゃんの元へ駆け寄り、「助けてあげて!」と、そのピンチを晴さんに知らせてくれたのだ。
そして、2014年秋のある朝のこと。しのちゃんが突然痙攣を起こして倒れてしまった。全身の震えが止まらず、目は見開いたまま、舌は真っ青で呼吸は苦しそうに・・・初めてのてんかん発作を目にした晴さんは、このまま死んでしまうんじゃないかと心配で心配でたまらなかったという。
そして痙攣がおさまったと思ったら、今度は激しく吠え始めたしのちゃん。苦しさと恐怖からかパニック状態になったしのちゃんを何とか落ち着かせようと、晴さんは全身を支えながら部屋の中をグルグル歩かせたという。
その約1時間後、くぅちゃんが突然部屋へやってきて、しのちゃんと一緒にグルグル歩き始めた。
▲こんな感じでしのちゃんを支えながら。
しのちゃんの横にピタッと体をくっつけ、ふらつくしのちゃんをしっかり誘導。約30分間、くぅちゃんはしのちゃんのグルグルに付き添ったという。
そして、ついに「限界!」とばかりにパタッと電池切れ。すでに、しのちゃんの痙攣が起きてから4時間が経過していたそう。晴さんが「よく頑張ったね!ありがとうね!」と声をかけると、くぅちゃんは静かに部屋を出て行ったという。
このできごとを機に、くぅちゃんはしのちゃんの介護をするように。
最初はしのちゃんと一緒にグルグル歩いたり、自分の背中にしのちゃんの顎を乗せて休ませてあげたりしていたくぅちゃんでしたが、だんだんとその介護技はパワーアップ。
ときには寄りかかるしのちゃんを全身で支え、ときにはしっぽや頭を使って誘導。ただ支えるだけじゃなく、しのちゃんが歩けそうな時には手を貸さずに見守ったり。「介護猫」として次々と驚きの匠の技を披露してくれるようになったのだ。
▲ときには手抜きも必要^^
そんな匠の技の数々をご覧ください。
最後はしのをおすわりさせて任務完了です。 pic.twitter.com/7v0wpWL4j1
— くぅとしの (@hinatabocco_3) February 3, 2020
人間でも難しい介護。それをいとも簡単にやってのけるくぅちゃん。そこにあるのはしのちゃんを想うくぅちゃんの深い愛。
落ちたゴハンもキレイに拾って?くれます。 pic.twitter.com/krXS0kF5zG
— くぅとしの (@hinatabocco_3) January 7, 2020
1.2ヶ月ごとに起きるてんかん発作。そのたびに認知症は少しずつ進行していき、次第に手がかかるように・・・。でも、そのたび晴さんはくぅちゃんに助けられたという。
「自分がしのを守りたい!お世話したい!」そんな使命感に駆られて、そばで必死に支え続けるくぅちゃん。そんなくぅちゃんの頑張りが、晴さんをも支えていたのだ。
途中こっち見て「ジャマしないでよね」って顔するくぅです。 pic.twitter.com/57gWuy4iqA
— くぅとしの (@hinatabocco_3) December 16, 2019
2018.3.7
2017年夏。しのちゃんはついに自力で起き上がることも、横になることもできなくなったという。
次第に表情は乏しくなり、くぅちゃんに無反応なことも増え・・・。それでも、くぅちゃんは以前と変わらずしのちゃんのそばで支え続けていた。
でも、ついに旅立ちの日が。
前日の夜、いつものように食事をした後少し歩き、横になったしのちゃん。でもその日は、突然激しく吠え始め、全く立てない状態に。横にすると激しく鳴くしのちゃんを落ち着かせるため、晴さんは一晩中抱っこであやし続けたとか。
朝になっても苦しそうな表情で激しく鳴き続けるしのちゃんの体はとても熱く、腸の形が分かるほどお腹はパンパンに膨れ上がっていたそう。かかりつけの病院は片道1時間半。「一刻も早く」そう思った晴さんは、急いで近所の病院へ駆け込んだという。
検査の結果、治療のため一時入院になったしのちゃん。一睡もしていなかった晴さんは、迎えの時間まで少し寝ようとベッドへ。すると、くぅちゃんが珍しく枕元へやってきて晴さんにぴったりとくっついてきたのだとか。
「くぅは、しのが亡くなる数日前から何かに怯えるような感じでした。体調不良も続いていたのですが、しのの介助は変わらずしてくれていました。今思えば、しのがもう長くないことを感じていたのかもしれません。」と晴さんは言う。
そして14時30分。病院からしのちゃんの呼吸が止まったとの連絡が。急いで家を飛び出た晴さん。「昨日まであんなに元気だったのに。ご飯も食べたのに。撫でたらほほ笑み返してくれたのに。。。」信じられない気持ちでいっぱいだった。
先生の懸命な心臓マッサージ。「やめたら心臓が止まります」晴さんは苦しそうなしのちゃんを必死に撫で、何度も何度も声をかけ続けたそう。「しの、いい子ね。そばにいるよ。ずっと一緒よ。」
そして、、、先生に心臓マッサージをやめてもらい、しのちゃんの心臓はゆっくりと静かに止まったという。
しのちゃんを家へ連れて帰ると、猫たちが代わる代わる最後の挨拶をするかのようにそばへ。でも、くぅちゃんだけは少し離れたところからしのちゃんをそっと見ていたそう。
そして夕方、しのちゃんのベッドでくつろぐくぅちゃん。
いつもよりも広く感じられるベッド。どんなときも一緒だったしのちゃんは、もうそこにはない。くぅちゃんの悲しみ、、、それは想像以上に大きいものだったのかもしれない。
お互いを思いあう2匹が生きた証を残したくて
ふたりが支え合う姿は、SNSやブログを通じてたちまち話題に。昨年には、本も出版された。
「お互いを思い合う2匹が生きた証を残したくて」と晴さんは言う。
犬と猫。「種類は違ってもこんなにもお互いを思い合えるなんて」本を読まれた方から、その絆の深さに感動したとの声がたくさん寄せられたという。
私たち人間が思っている以上に犬も猫も愛情深い。大切な存在だから、なくてはならない存在だから、必死で守ろうとする。支えようとする。
その健気な姿に心打たれ、当たり前の日常がどれだけ尊く幸せなものかと気付かされた人も多いのではないか思う。
しのちゃんは虹の橋を渡ってしまったけれど、晴さんやご家族、しのちゃんを愛する全ての人の心の中で今もキラキラと生き続けているはず。
自分ひとりで抱えすぎないで
「日々の介護はしのが何を望んでいるか、どうしたら快適に毎日を過ごせるのかを常に考えて接していました。」と晴さん。そしてこう続ける。
「介護は大変ですが、しの自身も辛く苦しい思いをしているのだと思いました。何もできない時でもそばにいて撫でて声をかける、そういったことも大切だと気づきました。」
ふたりの姿を見て、今まさに介護中の方もきっとたくさんの元気と勇気をもらったのではないかと思う。苦しいのは自分だけじゃない。日々みんな頑張っていて、猫も犬も精一杯「生きよう」としているのだ。
最後に、晴さんからこんなメッセージをいただいた。
「介護は金銭的にも身体的、肉体的にも辛く大変で、愛情が持てなくなってしまうこともあるかと思います。疲れてしまったり余裕がなくなった時は、しのの寝顔を見ながら元気だった頃に与えてくれた愛情や幸せを思い出して元気をもらっていました。自分ひとりで抱えすぎず、頼れる人や施設、獣医師に相談したりサービスなどを活用することも選択肢の1つだと思います。」
しのちゃんが亡くなった後、それまでの快活さがなくなり、いつもひとりでジッと悲しみに耐えるようだったというくぅちゃん。そんなくぅちゃんのことを晴さんはとても心配していたという。でも、今では少し明るさが戻り、同居の猫たちと一緒に寝たり遊んだり・・・穏やかな日々を過ごしているのだとか。
しのちゃんを失った悲しみは決して消えないけれど、くぅちゃんは一歩ずつ前へと進み出した。そんなくぅちゃんのこと、そして晴さんのことを、しのちゃんはきっとお空から温かい眼差しで見守っているはず。くぅちゃんは決してひとりじゃない。しのちゃん、晴さん、たくさんの人に愛されて見守られているんだよ。
取材協力:anicas、@hinatabocco_3
- この記事を書いた人
守重美和
猫ねこ部編集室 編集&ライター保護猫団体の活動を仔細にお届けする「保護猫のわ」・飼い主さんと猫との幸せエピソードをお届けする「なないろ猫物語」の編集担当。
猫を通して「人」の姿にフォーカスした記事をお届けする猫メンタリーライターとして 猫好きシンガーソングライター・嘉門タツオさんへのインタビューをはじめ、街の看板猫、猫カフェ、猫が住める住宅からキャットフードメーカー、ペット防災の専門家、猫雑貨店、猫をモチーフにした漫画家さん、年間3000件ものTNRの不妊手術を行っている獣医に至るまで、半年間で約40名以上の猫と関わる方々に幅広く取材を重ねる。